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明代 |
周高起「陽羨茗壷系」 |
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明代正徳 |
供春が樹嬰砂壷を制作。中国歴史博物館で保管 |
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明代後期 |
紫砂名師時大彬とその弟子李仲芳、徐友泉の3人が「壷家妙手称3大」と称えられ。この時代の名作家は時大彬、李仲芳、徐友泉の他に恵孟臣、陳光甫、陳仲美、邵文金、邵文銀、周季山など。 |
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清代 |
陳鳴遠が最も有名で、他に楊友蘭、邵基祖、邵玉亭、王南林 |
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清代乾隆 |
恵逸公 |
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清代嘉慶&道光 |
陳曼生、楊彭年、邵大亨 |
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江戸時代 |
日本に紫砂壷が輸入され、恵孟臣や陳鳴遠が人気。 |
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1876年 |
奥蘭田の「茗壷図録」が出版され |
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1878年 |
呉阿根が常滑に招待され、急須の制作を指導 |
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1902年 |
鮑四房と陳徳隆の二人が共同出資、シンガポールで「鼎生福」をオープン |
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1913年 |
宜興蜀山利用陶器公司が成立。技術顧問が范大生。その後、利用陶工傳習所という専門学校が設立され、史上初の紫砂壷専門学校が誕生。 |
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1926年 |
フィラデルフィア万博で紫砂花瓶が特等賞受賞 |
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明国21年 |
朱可心、程寿珍、兪国良、呉雲根などの作品がシカゴの博覧会で受賞 |
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1935年 |
范大生の作品がロンドンの芸術展覧会で金賞を受賞 |
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1954年 |
紫砂生産工場成立。朱可心、任淦庭、裴石民、呉雲根、王寅春、顧景舟、蒋蓉らが技術指導 |
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1958年 |
宜興紫砂工藝廠が設立。職員2,000名以上。 |
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1968年 |
著名紫砂陶刻家である任淦庭が病死。78歳 |
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1977年 |
著名紫砂作家である裴石民が病死。78歳 |
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1981年 |
宜興周墅紫砂廠が成立。1984年に紫砂二廠に改名 |
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1982年 |
紫砂工藝廠(一廠)の廠長である高海庚(顧景舟の愛弟子、周桂珍の夫、高振宇の父)が日本視察 |
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1984年 |
顧紹培と譚泉海の「百寿紫砂瓶」がドイツで金賞受賞 |
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1985年 |
12月に、紫砂工藝廠(一廠)の廠長で、紫砂著名紫砂作家の高海庚が病死。 |
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1986年 |
著名紫砂作家である朱可心が病死。83歳 |
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1988年 |
著名紫砂陶刻家である譚泉海が中国人民代表(日本の国会に当たる)に選ばれ |
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1988年 |
日本東京で「中国宜興陶磁芸術展」が開催され、1,000点以上の作品が展示され、汪寅仙と張紅華が会場で制作実演 |
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1988年 |
顧景舟が中国工藝美術大師に選ばれた |
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1990年 |
周桂珍来日、紫砂壷制作実演 |
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1991年 |
高海庚の息子である高振宇が武蔵野美術大学大学院陶磁専科に入学 |
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1992年 |
顧景舟らの「宜興紫砂珍賞」が香港で出版され |
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1993年 |
台湾「知遠研究発展基金」の要請で顧景舟ら11人が台湾へ |
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1994年 |
紫砂壷が中国切手に初登場。4枚セット。 |
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1996年 |
6月、著名紫砂作家である顧景舟が病死。81歳。 |
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1997年 |
蒋蓉、徐秀棠、呂尭臣、汪寅仙、徐漢棠、譚泉海の6人が中国工藝美術大師に選ばれた |
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2008年 |
2月、著名紫砂作家である蒋蓉(中国工藝美術大師)が病死。90歳。 |
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2016年 |
3月、著名紫砂作家である徐達明(陶磁藝術大師、江蘇省工藝美術大師)が病死。64歳。 |