中国茶の世界
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七碗茶歌


■詩の解説:
 
 盧仝(Lu-Tong)は唐の詩人。號玉川子。河北人。
 
 タイトル「走筆謝孟諫議寄新茶」の孟諫議(孟簡)は作者盧仝の友人です。
 
 一碗飲めば喉や口が潤い、
 二碗飲めば胸のツカエが取れ(寂しさと鬱を取り除く)、
 三碗飲めば干涸びた腸を探り(萎んだ詩情が蘇り)、中には五千巻の書物があるばかり、
 四碗飲めば軽い汗が出て、今までの不平不満が毛穴から出て行き、スッキリする。
 五碗飲めば肌や骨まで清らかになり、
 六碗飲めば仙界へ通ずる。
 七碗はもう飲めない。もう両脇からシューと清風が吹き抜けて行くのを感じた。
 
 中国茶の効能を巧みに歌い上げている素晴らしい茶詩。詩人の盧仝はお茶の神様である陸羽と並べられるすごい人だと言われています。
 また、この「七碗茶歌(七碗茶詩)」は中国茶の歴史な中でも最も偉大で、最も影響力のある茶詩の一つだと讃えられています。盧仝以降の多くの有名詩人の詩の中に「盧仝」や「玉川」の文字が見ることができる。

 *盧仝は40歳頃、「甘露之変」という政変の巻き添えに遇い、誤殺された。
 
 *周公:中国周王朝の政治家である。春秋時代の中国の思想家&儒家の始祖である孔子が最も深く尊敬した聖人君子は、周の武王を補佐した周公旦である。
 孔子はよく夢の中で周公旦を見たと書いてある。その後、夢を見る、夢の中、睡眠中...はよく「周公」という言葉を使う。

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走筆謝孟諫議寄新茶

■走筆謝孟諫議寄新茶 の訳文:
 
 日が高く登っているのに、まだぐっすり寝っていると、使いと名乗る軍将(級数の低い武官)がドンドンと門を叩き続けた為、熟睡中の作者(周公は周王朝の政治家だが、ここでは寝ている作者盧仝を指す)は目覚めた。

 門に出ると、孟諫議(作者の友人)からの書信を持って来たと軍将が言う。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、更に三つの印が押してあった(貴重さを表現)。

 緘を開けると孟諫議がの顔を思い浮かべた(目の前に居るようで)。親友が自ら選んでくれた月團(上等の茶餅)300個を手にする。

 聞いたところによれば、新年早々、茶摘みに山裏に入ったら、冬眠中の昆虫達が、吹き始めた春風に起こされ目覚めた。

 天子(皇帝)が陽羨茶(紫砂壺で有名な江蘇省宜興で採れたお茶、貢茶、陽羨雪芽)を味わいたいと、お茶が摘まれるまで、百草も先に花を開かない(皇帝の威厳と横行ぶりを風刺とも捕らえられる)。

 暖かい風は、人知れず茶樹に珠琲(真珠)のような蕾をつけ、春に先駆けて、黄金色の新芽を吹き出す。

 鮮葉を丁寧に摘み、香り立つように焙しては直ぐ包み、至精至好の茶葉でありながら、自慢げな処を感じさせない。

 皇帝(至尊)への献上の余りは王公貴族に下賜されるのは慣例となっている。

 しかしどう言う訳か、この山人(隠居の作者、謙遜)に贈られて来たのだ。

 柴門(貧しい人の家の戸、簡略な戸)を閉じ、これで俗客はもう来れない(誰にも邪魔されず、ゆっくりお茶を愉しみたいから)。頭巾で頭を包み、貰った茶葉を自ら煎じて喫する。

 碧雲(お湯を沸かす時の湯気)のような茶湯が風を引いてやまず、白い花のような茶の泡(唐宋では白が一番とされる、雪白とも表現する。雪やミルクをよく使う)は光を浮かべて茶碗の表面にびっしり浮かぶ。
 
 一碗飲めば喉や口が潤い、
 二碗飲めば胸のツカエが取れ(寂しさと鬱を取り除く)、
 三碗飲めば干涸びた腸を探り(萎んだ詩情が蘇り)、中には五千巻の書物があるばかり、
 四碗飲めば軽い汗が出て、今までの不平不満が毛穴から出て行き、スッキリする。
 五碗飲めば肌や骨まで清らかになり、
 六碗飲めば仙界へ通ずる。
 七碗はもう飲めない。もう両脇からシューと清風が吹き抜けて行くのを感じた。
 
 仙人が住むという伝説の蓬來山は一体何処にあるのか? この玉川子(作者のこと)が清風に乗って、蓬莱山まで飛んで行きたい。

 山上の住む群仙は下土(人間が住む場所)を司り(管理する)、地位は清高にして、風雨を隔る事が出来るとか(民衆の上に立つ皇帝とその下の役人達を指す)。

 百万億の蒼生(民衆、百姓のこと)の命が、茶を採る為、今にも崩れそうな巓崖(崖淵)にあって、群仙(統治者)はそれを知っているのだろう?  *(安得知なので、知る余地もないと嘆く)。

 孟諫議の代わりに聞こう、蒼生(民衆、百姓)は一体いつになったら平穏な暮らしが出来るのか、と。(「便為」なので、孟諫議の為に便りして聞こう)

 *違う解釈もネットなどで見かける:
 便りして孟諫議に聞こう、蒼生(民衆、百姓)は一体いつになったら平穏な暮らしが出来るのか、と。この場合、孟諫議を責める事になる。しかし、孟諫議を風刺する仲なら、お茶を貰わず、送り返すだろう?
 もし「便為諫議問蒼生」 → 「便為蒼生問諫議」の場合なら、孟諫議を責める事になる。
 ただ、袁高の「茶山詩」のように「先王失其本、職吏不敢陳」ではなく、その立場にある孟諫議にも蒼生の為に訴えて欲しい処があるかもしれない。

 *最後の6行は献上茶の製造に携わる百姓などの苦しみを訴え、政権(王公貴族)を暗に批判する内容。
 


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